ボランティアという名の

先日、娘の美術のクラスのボランティアに参加してきました。アーティストを招き、子供達はOaxacanというメキシコの工芸品を創作するというらしい。

art class at BC
巨匠の作品 作品名:DOG


学校のボランティアは生徒の家族や近隣住民、誰でもウェルカム。しかし、必ず「バックグランドチェック」という身上調査をパスすることが必要。さすが犯罪大国アメリカ。誰でも彼でも気軽に信用できないのね。

さて授業では19人の生徒に対してなんと大人ボランティアは7名。(加えてアーティストの先生と、クラス担任と副担任。)子供2人に対して大人1人という、配置基準高めの比率。まずはスケッチ、その後、木を選びグルーガンで接着してから、水彩絵の具で色付け。大人がヘルプするから、スムーズにことが進み、アレヨアレヨと、2回の授業を経て、ほどなく完成となりました。(こちらの子供の色彩感覚、かなり派手。私好みです。)

さて、ボランティアをして気づいた点。前述したように、(前回のブログはこちら)こちらの学校では、日本で必ずある入学前の「グッズ購入」というものが存在しないため、絵の具などの道具類は全て教室に常備してあるものをシェアして使います。今回は、パレットは紙皿、水バケツは大きめの紙コップ、絵筆は教室に常備してあるものを使用。なるほど、お金がかからず合理的。この点は、はなまる。

しかし、よくよく考えると、チューブから絵の具を出すところから、準備も片付けも全てボランティアがする。汚れた絵筆を洗うのもボランティア。片付けくらい自分たちでせんかい!と思ってしまったよ。我々はよく言えば、ボランティア、悪く言えば、全てお膳立てする召使い、いや、アシスタント的な感じ?短時間で仕上げるという点では、非常に素晴らしいボランティアシステムですが、個人的には、わだかまりの残る美術の時間だったわけです。

自分で絵の具の準備をするとか、道具をきれいに洗って片付けるとか、こちらの教育ではあまりフォーカスされていないのだね。分業主義というか、合理主義というか、そんな社会の断面を垣間見た感じで、なるほどなあ、と少し残念な気持ちになったボランティア活動でした。

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