大きな栗の木の下で

栗の季節。我が家の前にある栗の木は、収穫時期真っ盛り。毎日、隣の木に生息するリスも負けじと、電線を器用につたったり、地上からひょこひょこと収穫に来る。

毎朝、紅葉の木々に囲まれた並木通りを、マウンテンバイクで颯爽と走って通学するのが、私の一日の始まり。もみじ、楓、銀杏、栗の木ももちろん、ポートランドの木々は本当に美しい。

しかし最近になって、この通りでリスの死骸をよく見つけるようになった。先日はなんと10匹以上も発見。なんとも悲しい光景。彼らは冬眠に向けて食料調達に忙しい季節なのだろう。交通量が多い通りにもかかわらず、通りの向かい側の栗の木めがけて横断しようとして、車にひかれてしまったのか。

リスクを冒してまで、生存のため、なんとしてでも食料調達しなければならないリスの運命を思うと、我々が頻繁に使用する「リスクを冒す」という表現が、どうも本来の「リスク」ではない気がしてきた。

あてもないのに仕事を辞めて、安定した生活を投げ出したり、全く何も決まってないのに海外へ引越ししたり、40歳を前にしてカレッジで勉強し始めたり。「リスクを冒して」やっていると思っていたことが、このリス達の食料調達リスクに比べたら、私のリスクは、全くリスクではないではないか!

失敗しても命を取られるわけではない、失敗してもいつも軌道修正できる。私の”リスク”は、おそらく絶え間無く過ぎていく日常の一コマ。人生を豊かに生きていくための、選択であり、リスクではないのである。

家の前の栗は、全部リスに譲ろう。少なくとも、私は食料を調達するためにリスクを冒さなくてもいいのだから。





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