ポートランド暮らしの手帖。

日々のごはんと、ふとした暮らしの気づきを綴ります。

教育とサイエンス

「日本のある中学校で、教員のサングラス禁止。理由は子供が怖がるから。」朝一で読んだニュースがこれ。

ある公立中学校の保健体育教員が、屋外でサングラスをかけて授業や運動会の指導をしていたところ、生徒がその教員の風貌を「ヤクザみたい」などと怖がったらしい。保護者が、学校に苦情を申し出たところ、結果的にその学校では教員のサングラスが禁止となった。

サングラスをかけるのは、有害な紫外線から子どもの目(大人も)を守るための処置であり、もはや世界の常識になっている。もちろんここアメリカでも同じ。大人でも子供でも日差しの強い屋外では、サングラス着用が当たり前。オーストラリアでは、子供にサングラス着用を義務付けている公立学校もあるほど。先学期に私自身、解剖生理学の授業で学んだ眼球組織。眼は非常に繊細な細胞構造で、唯一、外部と接触する脳細胞でもある。それを保護するサングラスをかけるのは、保健体育教員として、当たり前のことだと思うのだが。

非医学的、非科学的、非常識な日本の教育者らが定めるルール。もう笑うしかない。科学技術立国に名乗りを挙げいている国であるのなら、もう少し教育や生徒指導にサイエンスを取り入れてみてもいいのでは?

ちなみに、教員がサングラスをかけているという理由で生徒が怖がるのなら、学校側は「他人を外見だけで判断するのはやめよう」と、教育者として、なぜ生徒にはっきりと言えなかったのか。マジョリティとは違う他者を排除することで「子供を守る」ことが成り立つのであるのなら、本来の教育の目的とは何なのか。たくさんの疑問が残る朝一のニューであった。

誕生日

娘の誕生日。私が母親になった日から、もう8年も経ったということ。はやい。はやすぎる。

時の流れのスピードに圧倒される一方で、しみじみと過去の思い出を回想してみる。娘の成長と共に、私自身の成長も目まぐるしかった。そして、その成長は現在も続行中。

応援してくれている皆さん、どうもありがとうございます。親子共々、進化し続けて生きます。

blueberry cake bd









ベリー収穫

ポートランド市街地から車で30分のところにある、Sauvie Island(ソービーアイランド)。ここはトスカーナ?と思わせるほど、美しく雄大な山と畑が360度広がる。

家族でブルーベリーとイチゴの収穫にやって来た。オレゴンはベリーの聖地。日本で、ベリーといえば、ブルーベリーやストロベリーくらいしか思いつかないが、ここでは私が知るだけでも10種類以上のベリー(ラズベリー、ブラックベリー、グースベリー、マリオンベリー、シュガーベリーなど)が存在する。

こちらのベリーピッキングは、日本でよくある、「いちご狩り、食べ放題30分◯◯円(持ち帰りは別料金)」のような、けち臭い価格設定ではない。時間設定なし、食べ放題(とは書かれていないが、みんな好きに食べている)、そして約1キロ当たり5ドルほどの安価で、ジューシーなベリーが収穫できる。

たらふくイチゴとブルーベリーを食べた後に、さあ始動。3人とも、真剣に見極めながら、キラキラ光るベリーを一つずつ丁寧に自分のバケツへ入れていく。清々しい空気の中、ブルーベリーとストロベリーをバケツ3個いっぱいに収穫してお値段15ドル。Thank You BERRY much!

berry picking


夏のポトフ

30度超えの猛暑日の後に、一気に10度ほど気温が下がる。この気温のアップダウンが、ポートランドの夏のあるある。家の中は15度ほどしかなく、肌寒い。カーディガンを引っ張り出してきて、厚めの靴下を履く。

そんな日には、ほっこりポトフ。体の芯から温まる。

pot

Pride Parade

gay parade

全米でも一番大規模なLGBTの祭典「ポートランドプライド」(ゲイバレード)。約150もの企業や団体が参加する世界的にもかなり大きな規模のパレードで、20年以上もの歴史を誇る。

お祭り好きのアメリカ人だけあって、なんとも派手なパレードであったが、参加者たちは、どこにでもいる普通の一般市民。子供もいれば若者もいれば、おばあちゃんやおじいちゃんもいる。裸同然のワイルドな人もいれば、普段着のままの人も。

gay parade 2

一番、感動したのは、多くの高校生たちと保護者のグループ。自分のセクシュアルオリエンテーション(性的嗜好)を包み隠さずに表現できる社会に暮らせる若者たちは、なんと幸せなのだろうと胸が熱くなった。

保護者の一人のTシャツに "I'm a proud DAD"「 私は(息子または娘のことを)誇りに思う父親です。」と書かれていたのを見つけて、自問自答する。将来、もしレズビアンになった我が娘を受け入れる覚悟が、果たして私にあるのだろうか、と。

一瞬で答えが見つかる。絶対、大丈夫。彼女が幸せなら、それで良いのだ。彼女が生きていてくれるだけで、もうそれでギフトなのだ。このパレードが、そう思わせてくれた。美しい夏の1日。