ポートランド暮らしの手帖。

日々の学びと、ふとした暮らしの気づきを綴ります。

失敗の先にあるもの

悩みがあるといつも私は、人生の師匠でもある母親に相談する。すると彼女は決まって、笑顔でこう言う。「失敗したっていいじゃない。」「失敗から学ぶことだって沢山あるのよ。」「いつも軌道修正できるんだから。」と。

いつも、いつ聞いても、ハッとさせられる言葉。失敗しないように生きようと思うからこそ、悩みが増える。自分自身で自分の好奇心や欲求に歯止めをかけて、もがいているのだ。自分のやりたいことをやればいい。失敗したって、死にはしない。気持ちが沈む時は、いつも母の言葉を思い浮かべながら、前を向き、歩いてきた。

先日、第一志望の大学の合格発表があった。結果はなんと合格。秋からは看護学生になり、15ヶ月のコースを修了すると、晴れて43歳で新卒のナースになる。「失敗を恐れずに。」こんなありふれたメッセージが心にビンビンと響く、そんなアラフォーなのである。

It is impossible to live without failing at something,
unless you live so cautiously that you might as well not have lived at all
-- in which case, you fail by default.

– J.K. Rowling, writer

失敗せずに生きるのは人生、生きたうちに入らない。
失敗しないように気をつけながら生きることも、生きたうちに入らない。
どちらにしても、そんな人生など、初めから失敗なのだ。

- J.K.ローリング, 作家

今を生きる

116歳でギネス世界最高齢に認定された日本人女性のニュースををネットで見た。お祝い記者会見中にショートケーキを頬張り、ちょっとしたユーモアを交えて喋る彼女。彼女から漂う滋味深いオーラに目が釘付けになる。

記者会見で今までで一番楽しかった出来事を聞かれると、彼女は力強く「今!」と答えた。若い時の恋愛、結婚、子育てなどの数々の過去の思い出を振り返るわけでもなく、まさにこの瞬間である「今」と答えた彼女に、健康長寿の秘訣を垣間見た気がする。過去に現実逃避するのではなく、明日の自分を妄想し不安になったりするのではなく、まさに今を楽しく生きるのが人生なのだ、と。そして、人生はその「今」の積み重ねなのだ、と。

Yesterday is history,
Tomorrow is mystery, and
Today is a gift.
That is why we call it present.

-Bil Kean, cartoonist

昨日は過去
明日のことは誰にもわからない
そして今日という日は贈り物
だから今(Present)と呼ぶのです

-ビル・キーン, 漫画家

達成感

数日前、大学受験の為の面接に行ってきた。山の上にある大きな大学病院の敷地内には、いくつもの病棟がそびえ立つ。その中に医学部や看護学部などの教育棟も立ち並び、そこだけで小さい街を形成しているようだ。

私が願書を出した看護学部の今年の志願者の総数は500人。書類選考で120人に絞られ、今回の面接の結果、最終的に約60人が入学できる。看護学部内の控え室に到着し、みんな緊張の面持ち。隣に座った女性に話しかけてみると、彼女はなんと3人の子供の母親。子供2人はすでに大学生で、そのうちの一人は、看護師になる為に、他州の大学で勉強しているという。母親と娘、二人で同じ夢に向かっていると、笑顔で話してくれた。

面接の前のグループオリエンテーションでは、各自、自己紹介。担当の教授は、我々15人の志願者に対し、「なぜこの大学を選んだの?」「誰か教えてくれる人はいないかな?」という質問を投げかける。一同、シーンとなる中、無意識に私が一番に手を挙げていた。日本での経験を交えながら、自分の熱意を語って一息つくと、その教授は、過去に東京でで短期間、助産師として働いていた経験を教えてくれた。「日本には足湯文化があってね、日本の妊婦はみんな足湯してるのよ!」と自慢げに言っていた。

その後、さらにグループに分かれ、面接。我々グループは教授陣3人に対して、志願者4人。質問の内容は、behavoiral questionといって、就職面接の時によくある「行動質問」。ある一定のシチュエーションが与えられ、「こういう場面であなたは過去にどう対応しましたか?」「そしてその経験をどうやって次に生かしますか?」という内容。この大学は、アメリカでもTOP5に入る医療レベルの大学病院なのだが、面接で学問的なことは一切聞かれず、フォーカスは「社会差別」「共感力」「公平性」「多様性」「チームワーク」など人間性重視の質問ばかり。

他の志願者は、流れる湧き水のように英語をスラスラと喋る(当たり前だが)。私は、井戸水をポンプから押し出すように、苦しみながらも慎重に言葉をつないでいく。最初の質問から、持ち時間をオーバーして発言がカットされるというあまりにも惨めな出だしで撃沈する私。そのあとは肩の力が抜けて逆に開き直った。2つ目の質問からは、自信を持ってまっすぐに面接官を見ながら、今までの人生経験を語る。

面接が終わり部屋を後にして、やっと深く息ができることに気づく。ああ、緊張した。難しかった。全然思ったように話せなかった。後悔が押し寄せる。やっぱり言語の壁は想像以上に大きかった。が、結果はどうであれ、やるべきことはやったのだ。ここまで登って来れた自分を褒めよう。大学病院から下の街までゴンドラに乗って降りていく。いわれもない達成感と安堵感。山の上から見渡す空が、青かった。

sky tram

親の幸せ 子の幸せ

最近、ご飯を作る回数がめっきりと減った。週3回は夜11時までのシフト勤務があるので、その日は、残り物で自分の弁当を作り、お昼過ぎに家を出る。夫と娘の夜ご飯を甲斐甲斐しく用意するでもなく、「これを作ったら?」と提案するでもなく。健康志向の夫だから100%信頼しているし、翌日私から「昨晩は何を作ったの?」「私がいなくて大丈夫だった?」などと、聞くことはしない。彼ら二人だけで、二人だけの時間を楽しんでいるだろうと、思うことにしている。

夕方のご飯作りは、私にとって勉強の合間の最大の息抜きだった。が、実は作らないのは、もっと息抜きになると、最近知った。味をしめた私は、週末に家にいるときも、娘の朝食や昼食を自分で作らせたり、おやつが食べたいと言うと、「ヨーグルトかフルーツを自分で食べなさい。」と放任している。

私が言うのもなんだが、娘は料理のセンスがあると思う。帰宅するとキッチンに駆け寄り、匂いだけで、私が作っているスープの種類(かぼちゃスープ、チキンスープかマッシュルームスープか、など)をドンピシャにあてたりする。パンケーキも焼き色を見ながら、上手にひっくり返すし。昼食の”ツナメルト”(ツナとチーズのトースト)はお気に入りのようだ。ツナを乗せたパンにチェダーチーズとモッツアレラチーズをきれいに乗せてオーブンで焼いている。おやつには、自分でヨーグルトにきな粉とバナナとハニーを入れて、読谷で購入したやちむんのお椀で美味しそうに食べている。

私が子供のころは、両親共働きで不在がちだったため、「母親が家にいること」への憧れがあった。しかし、母親になった今、母親も一人の人間であり、子供の為だけに生きているわけではないと思うようになった。母親にも自分の人生があり、探求したいことがある。日本では、母親が不在がちだと、「子供を犠牲にして」と女性が非難され、父親が不在がちだと、「男だから、まあしょうがないわね」となる。いわゆる育児におけるジェンダーギャップが、日本では、男性だけでなく、女性の中にも無意識下のうちに存在するのである。

その分、この国では楽だ。父親でも母親でも自分の人生をいかに生きるか、を常に探求している。子供の世話は父親でも母親でも近所の友達でもベビーシッターでもいい。もちろん、専業主夫、主婦を選択する人もいれば、そうでない人もたくさんいる。愛情は一緒にいる時間のクオンティティ(量)ではなく、クオリティ(質)。そして何より、親が幸せであるのが一番。親の幸せをサクリファイス(犠牲に)して、子供の幸せを願うのは本末転倒。

飛行機に搭乗した時に、離陸前、酸素マスク装着のデモンストレーションがある。親は自分のマスクを身につけ、自分の呼吸を確保してから、我が子にマスクを装着するのがルール。まずは親は、自分の幸せを確保。自分が不幸なのに、どうやって子に愛情が捧げられる?子の幸せを願うことができる?

今日はひな祭り。娘リクエストのちらし寿司、唐揚げときゅうりの胡麻和え、そしてラズベリーのケーキ。
娘の健康と幸せを願って。

バレンタインデー

アメリカのバレンタインデーには、義理チョコとか友チョコなど存在しない。男女問わず、互いに愛と思いやりを捧げあう日。家族、恋人、友達、同僚、道行く人に「Happy Valentine's Day!」と声を掛け合う。

私のバレンタインデーは、夫からのメッセージカードと、夫特製のホットチョコレートで始まった。シンプルだけど、特別な時間。午後は、仕事に赴き、患者さんや同僚に笑顔で「Happy Valentine’s Day」と声をかける。

看護施設の仕事の一つとして、患者の入浴介助があるのだが、私はこの時間が好きだ。患者さんの背中を流しながら、彼らにゆっくりと「人生の秘訣」を聞くことにしている。
昨日の入浴介助の時に、ある高齢の患者さんに「良い母親になる秘訣」を聞いてみた。ちなみに彼女の息子は、毎日朝早くから遅くまで母親の部屋に付きっきりで、彼女の身の回りの世話をしている。彼女の食事中はいつも隣にいて、楽しそうに話をする。たまに母親を外に連れ出して、お茶をしたり、買い物したり、レストランに行ったり。彼は60代前半だろうか、非常に紳士的で穏やかな人柄だ。我々スタッフにもフレンドリーに接してくる。

バスルームでの彼女との会話。
私「あなたの息子さん、本当に献身的ね。」「どうやったら、あなたみたいな素晴らしい母親になれるのかしら」
彼女「うーん、わからないわ。私はただ単純に子供を愛しているだけ。だって私の子供たちはみんな、愛らしいのよ」
「子供の意思を遮ったり、思いを批判してはだめ。子供はあなたのものではないのよ。ただ愛してあげればいいのよ」

入浴が終わり、彼女の車椅子を押しながら部屋に帰る。部屋で待っていた息子に彼女の言葉を伝えた。
私「私はあなたのお母さんから、母親としての素晴らしいレッスンを学んだわ。」
息子「良い母親になるための秘訣を聞くには、彼女はBest Teacher(最高の先生)だよ。よかったね。 」

補聴器をつけてない彼女は、我々の会話が聞こえなかったので、
「あなたたち何を話しているの?」と不思議そうに聞いてくる。
息子が母親の耳元で、「ママ、あなたは僕にとって最高の母親だよって、話しているんだよ。」

ああ、映画に出てくるような一コマ。こんな愛情あふれる親子を見ていたら、心が幸せで満ち溢れてくる。最高のバレンタインデー。